経営コンサルタント毛利京申
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昨日は、勝川の老舗水徳さんで、次回かちがわ大学の講師らとラン...

昨日は、勝川の老舗水徳さんで、次回かちがわ大学の講師らとラン...

2023/05/27

昨日は、勝川の老舗水徳さんで、次回かちがわ大学の講師らとランチミーティングをしておりました😋
講師の先生は知多町に住む岩田鎮人氏
岩田先生は元教員で歴史研究科です🤗

モーは高級地鶏唐揚げ定食、他の人はひつまぶし😋を食べながら、勝川の歴史についてのお話を聞いておりました。
いつも自分でも話をしているのは、徳川家康の時代からの話😁
ところが、岩田先生の資料には、弥生時代から勝川古墳群からのお話🥳
古墳時代には春日井市にもたくさん古墳があり、愛知県には発見されているだけでも3,500からの古墳が発見されています😆
その時代は庄内川流域で、農耕をして生計を立てていたようです。
それから塩辛、平安時代、鎌倉室町時代の勝川は貴族、寺社の荘園だったようです🤗
明治初期の勝川はまだ鉄道はなく、下街道として発展を遂げ、宿屋も10数軒、映画館もあったみたいです。
そこで、モーは庶民を代表して、赤線のことを質問しました😆
すると、味美地区など他の地区から勝川を見るとかなり発展していたようで、セピア色した喫茶店やナイトサパーみたいなお店があり、大人からは、あんなところ行っちゃダメと言われていたようで、どきどきして眺めていたようです🤗
今はもうない宿屋の宿帳が残っているようで、例えば上田一男、外楚々2名料金壱文などの記載があり、毎日男女2名で泊まる客がいて、昔はこういう宿屋をやんごとない場所として、利用していたようです😆

勝川と味美地区の子供同士の確執も聞きましたが、まるで自分の頃の単に学校が違うだけで、喧嘩していた時代を思い出していました。
次回は7月4日の予定です。
セピア色した町並みに着流し着て闊歩した時代の侘び寂びの話を聞くのももののあわれかな👂


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